支那事変・南京戦において日本軍による一般市民への大虐殺はなかった・支那伝統の戦法は『堅壁清野』・支那一般市民は国民党軍の焼き払い虐殺に苦しんだ・テレビが全く報じない河村市長発言・南京大虐殺が嘘と認めたも同然だ!

さて、河村名古屋市長の『南京事件はなかった』と言う発言が物議を醸し出したが、これは全く正当な発言であり、日本の国益にとっては誠に歓迎できる発言であった。
そもそも陸戦法規では、一般市民への戦闘行為は禁止されており、当時の日本軍は世界でも突出して軍律が厳しかった事で知られている。
これは支那事変(1937年〜)の時だけでなく、それよりもずっと前の日清戦争(1894年〜)の時から世界中で認められている事だ。
当然、支那の市民もその事は承知していて、日本軍が統治をした区域はその後の人口が増加している点に注目すべきである。
有名な話では、義和団の乱を制圧した各国の海軍陸戦隊は、その後北京の各区域を統治し始めるが、そこでは略奪・暴行・強姦が横行した。
しかし日本軍の指揮にあたった柴五郎中佐は、日本軍の軍律を厳しく制定し、区域内の市民の保護に全力を注いだ。
その事が各国の占領区民に広まるや、日本軍占領地へと避難し、人口が急増したのだ。
このように、日本軍は占領した土地の住民には手厚い保護を基礎とした統治を心掛けていたのだ。
ただし、支那事変では日本軍と支那国民党との間で戦闘行為が行われる度に支那住民の家は焼き払われ、略奪・暴行を受ける事がほとんどだった。
その事については次のような実態がある。

支那の伝統的戦法は『堅壁清野』

まず、この『堅壁清野』の意味から解説する。

固な城を作って守り、には一物もないよう城壁の周囲を焼き払ってめてさえおけば、敵は飢えて降参するから戦わずして勝利は転がり込んでくる。

これが堅壁清野の意味だが、支那はなんとこの戦法を建武3年(西暦27年)から20世紀まで続けたのだ。
だから支那の城壁は異様に高い。
つまり城壁を高くして守り、相手に食糧を残さず飢えるのを待つと言う、日本では武士の風上にも置けない消極的な戦法だったのだ。
だから支那の兵は軍隊同士の戦闘になると圧倒的に弱い。
そして戦闘が起こる度に、支那の民衆は財産をすべて没収され、拒めば殺され全てを焼き払われる。
たとえ住民が生き残ったとしても、住むところも全て焼き払われるのだから住む所さえ無い。
これを手厚く保護して行ったのが日本軍であったと言う事だ。
だから支那の民衆は日本軍が来ると大歓迎したのだ。


南京市民に歓迎される日本軍

日本軍の降伏勧告に反対した唐生智

上海事変から南京までの間では、支那国民党の中でも南京城の防衛にあたって様々な議論がされていた。
実は南京城に迫った日本軍は何度も降伏勧告を行っている。
つまり平和的解決を迫っていたのだ。
城内では蒋介石・何応欽参謀総長・徐永昌軍令部長・李宗仁第五戦区司令官ほか、ドイツ軍事顧問団団長アレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼン将軍などが協議し南京防衛について意見を出し合っていた。
そして大方の意見は南京はそれほど持ち応えられないと言う事から、放棄して無用な犠牲を作らないようにしようと言うものでまとまりかけていた。
しかしそれを唐生智将軍が何でも戦うと強硬姿勢を示し、蒋介石が唐生智を南京防衛軍司令官に任命している。

そしてその後は日本軍が南京に迫るまで、堅壁清野のごとく、南京市の一部を焼き払っている。
住民は退去を命じられ、それに従わなければスパイともみなされた。
この様子は当時現地に居たニューヨーク・タイムズのティルマン・ダーディン記者が伝えている。

『南京での防衛作業の特徴は、相変わらず建物の全面的焼却である。南門近くの人口密集地域では全域から住民が追い立てられて城内の安全地帯に送り込まれ、一小都市くらいの規模のこの地区が燃やされていた。同じように、下関(シャーカン)駅近くのモデル新村一つが焼却された。』

このように南京の攻防以前より、南京市民を苦しめていたのは支那国民党軍であったことが、外国の記者によって明らかにされている。
そしてもし仮に、蒋介石らの協議によって南京を放棄し犠牲を作らないようにしていれば、この南京の攻防すら起こらなかった可能性が高い。
もともと支那事変とは支那国民党が日本軍を引きずり込んだ事が原因なのだから、日本軍は平和的解決をずっと望んでいたはずだ。
その証拠に、松井石根大将は蒋介石に『力を合わせてアジアを強くして行こう』と書状までたしなめている。
よって日本軍による大虐殺な起こるわけがなく、むしろ南京住民は支那国民党軍の堅壁清野に苦しめられていたのだ。

日本のテレビはこぞって河村市長発言を黙殺

しかし河村市長の発言によって、名古屋市と南京市の姉妹都市交流が停止状態になったにもかかわらず、テレビ局各社は揃って黙殺している。
異様な雰囲気だ。
普通なら支那や朝鮮に対する無礼千万な発言は、マスコミにとってはバッシングのネタになるはずだが・・・。
実はこれこそが南京大虐殺なるものが全く証拠の無い捏造である事を物語っている。
要するに既に南京大虐殺を証明する事は不可能である事をマスコミは知っている。
なぜなら、全く根拠のないデマだったからだ。
それが既に多くの国民が知る所になったから、マスコミは河村市長の発言に批判する事が出来ないのだ。
ただ、政府は相変わらず村山談話などを踏襲しているのだが、これを破棄し日本の主張を正しいものにした時のマスコミの反応はどうなるのか今から楽しみだ。
日本政府は支那国民党を見習って(誤解がないように)、今までの捏造歴史観を焼き払え!
河村市長にはぜひぜひ信念を曲げず主張し続けてもらいたい。