世界に影響を与え続けるユダヤ問題。ユダヤとはいったい何なのか?

およそ4年ぶりにこのブログに書き込みます。この4年間保守活動に邁進しており、私生活では父親や叔父の介護にも携わっていたために時間が取れないでいた。と言うのはこじつけで単なるさぼり癖が4年もの間続いただけです。今年に入ってブログを再開し、少しずつでも更新して行こうと思っております。これまで多くのコメントを頂いた皆様にもご迷惑をお掛け致しましたが、もし宜しければ覗いてやってください。

さてそこで再開初っ端の投稿ですが、何を書こうか悩みましたが、昨年ロシア革命から100年を迎え、それにあたって著名な先生方から共産主義コミンテルンなどの著書が多数出版されました。特に江崎道朗先生の御著書は戦前世界中に影響を与えた共産主義社会主義そしてコミンテルンについて詳細に記されていて、このような本が注目をされる時代になったのだと感慨に浸ったものです。
そこでその共産主義を語る上で、どうしても避けては通れないユダヤ問題にスポットを当ててみたいと思います。

このユダヤってなんだろう?

実は私の保守活動の中でも多くの人が疑問に思っているもので、人によってはさっぱり分からないという保守派の人までいます。今回の記事は時代をかなり遡って、現在言われているユダヤ民族がどのようにして誕生したのか?そしてこれまで何をして来たのか?を書いてみたいと思います。


1、ユダヤ人には2つの民族が存在する

主にこの2つのユダヤ人がいますが、根っからの正統なユダヤ人はスファラディユダヤ人で、こちらは中東や北アフリカに住んでいた有色人種。今回スポットを当てるのがアシュケナジーユダヤ人で、こちらは後に自称ユダヤ人と名乗った偽ユダヤ人です。私はこの偽ユダヤ人たちが戦前戦後どころか、遥か昔から世界史に悪影響を与え続けていると考えています。


2、アシュケナジーユダヤ人はどのように誕生したのか?

6世紀後半にヴォルガ川流域に強力な民族が台頭し始め7世紀になるとカスピ海から黒海沿岸にかけて巨大な王国を築きます。この王国を築いた民族がハザール人でハザール王国と言います。ところが8世紀になってロシアに隣接するハザール王国はキリスト教イスラム教などの圧迫を受けることになって、王から奴隷に至るまで国ごとユダヤ教に改宗することになります。つまりハザール王国はハザール人によるユダヤ国家となり、この頃からユダヤ人と名乗るようになります。現在のアシュケナジーユダヤ人はこの頃のハザール人の子孫となるわけです。


3、ハザール王国滅亡までの道のり

  • カスピ海の北方に進出したハザール人は度々ロシア人と衝突
  • ハザール人はロシア人を支配下に置き奴隷とし、ロシア人奴隷を安価で売買していた
  • 8世紀になりキリスト教イスラム教の圧迫を受けて国ごとユダヤ教に改宗
  • ロシア人とハザール王国は数回に渡って戦争
  • 965年ロシア人がハザール王国を占領
  • 1174年ハザール人がロシアの最も有名な皇帝を暗殺
  • ロシアはハザール人を弾圧することを決定
  • 13世紀にモンゴル(元)が台頭しハザール王国を滅亡させる

6世紀後半にハザール人が台頭した頃、ロシア人は既にキエフなどに定着していました。※キエフは現在のウクライナの首都になります。
この頃からハザール人とロシア人が度々衝突しますが、当時はロシアも帝国としては存在しておらず、ロシア人は次第にハザール王国の支配下に治められていきます。ハザール人たちはロシア人を奴隷として支配下に置き安価で人身売買を行っていました。このようなことからロシアの中では民族問題としてハザール人との確執が出て来ます。
ところがハザール王国が隆盛を誇った頃、南方から新たな国が台頭して来ます。それがアラブ帝国です。ハザール王国とアラブ帝国は2度の大きな戦争をしています。この戦争を受けてかどうか、ハザール王国の中では国政改革と称して国ごとユダヤ教に改宗すると言う世界史では類を見ないユダヤ人以外のユダヤ国家が誕生することになりました。※アシュケナジーユダヤ人の誕生
実はこの国ごとユダヤ教に改宗したことによってハザール王国の国内は分裂状態になります。ユダヤ教を信奉する国王を中心とする支配者側と、そうでない有力な貴族たちの間で次第に険悪なムードになっていきます。そしてついに内乱の火の手が上がり衝突。ユダヤ教を信奉する支配者側が勝利し、敗れた有力な貴族たちの一部は皆殺しにされ、他は北方のキエフなどに亡命した。

そして次第に国力が弱まる中で北方のキエフ・ロシア人が台頭して来てロシアとハザール王国で数度の戦争が起きます。これらの戦争によって965年ロシアはハザール王国を占領する事になるのです。しかし占領されたハザール王国はかつての強国に戻ることはありませんでしたが、ハザール人たちはロシア国家の中でロシアに対する陰謀を画策するようになっていました。つまりロシア国内に初めてユダヤ問題が発生した瞬間でした。
1174年、陰謀を画策したハザール人たちがついに決行し、ロシアで最も有名な皇帝・アンドレイ・ボゴリュプスキー皇帝を暗殺したのです。
この頃のロシアはいくつもの国で成り立つ連邦制でした。その国ごとに皇帝がいたのですが、それぞれの国の皇帝が集まり会議が行われてロシアにいるユダヤ教徒ハザール人を弾圧することを決めます。この弾圧により多数のユダヤ教徒ハザール人が殺されることになりました。
そしてこのロシアが占領したハザール王国も、13世紀に台頭して来たモンゴル(元)に侵略されハザール王国は完全に滅亡することになった。

多くの皆さんはユダヤとの問題はナチスヒトラーが発祥だと思っている方が多いと思いますが、それよりはるか昔にロシアで問題が発生したのが最初です。ナチスヒトラーユダヤ政策については後述しますが、このような歴史的背景を知った上での政策であった可能性は高いと私は思っています。


4、ハザール王国が滅亡し、ユダヤ人たちはどこに行ったのか?

ロシアの弾圧を受け元に侵略されて国を追われたユダヤ人はポーランドに逃げ込みました。地図を見てもらうと分かりますが、南から来た元によってハザール王国が滅亡したとなると、ハザール王国を占領したロシアも北へ逃げたと言う事になります。自然とポーランドにしか逃げ道はありません。このポーランドの国内でユダヤ人たちは次第に力を持ちはじめていきます。15世紀から16世紀になる頃にはポーランド人よりも強い力を持つようになり、ポーランド国内に自分達の政府・国会・教会などを持つようになります。このように国家内にもう一つの自前の国家を作ってしまう、これを国家内国家と言います。このユダヤ人による国家内国家はポーランド人やポーランド政府が一切手をつけることができないほどまでに力を持ちました。


5、18世紀に行われたポーランド分割で再びロシア内にユダヤ問題が勃発

18世紀になるとポーランドは3度に渡って分割されます。1772年・1793年・1795年といずれもプロイセンブランデンブルク)・ロシア帝国オーストリアハプスブルク帝国)によって分割され、1795年にポーランドは滅亡します。この時ポーランドに国家内国家を築いていたユダヤ人はそのままこの3国に吸収されることになり、再びロシア国内にユダヤ人が入り込むことになります。実はこのポーランド分割が後のドイツに深刻なユダヤ問題を生じさせます。なぜならプロイセンの首都はベルリン。つまり後のドイツだからです。要するにポーランドを分割して領土を得たのは良かったが、その中にはユダヤと言う毒が仕込まれていた。毒まんじゅうを食わされてしまったんですね。これで再びロシア国内にユダヤ問題が勃発します。

ハザール王国を滅亡に追い込み、ハザール人を弾圧した恨みをこの時のユダヤ人(アシュケナジーユダヤ人)は決して忘れてはいません。1174年にロシアの最も有名な皇帝を暗殺してまで革命を起こそうとするユダヤ人の性質は今も昔も変わりません。人種の性質は何もユダヤ人だけが変わらないのではありません。中国や朝鮮そして日本を見ても人種の性質と言うものはそう変われるものではないのです。13世紀に滅亡したハザール王国の子孫であるユダヤ人は、その後ポーランドの国内で自分達の国家を作るほど権力を掌握するようになっています。即ち国家自体を持たなくともその国の権力を掌握することで思うままに国を動かす。これは現在の米国のユダヤの金融資本を見ても明らかです。そしてこのポーランド分割で再びロシアに入り込んだユダヤ人たちが史上最も残酷な革命を成し遂げて行くわけです。


6、ロシア国内でユダヤ人による革命運動が勃発、日露戦争の裏にはユダヤの画策が

※以下に記すユダヤ人とは全てアシュケナジーユダヤ

  • ポーランド分割でロシアに入ったユダヤ人は約300万人
  • 19世紀終わりごろからロシアのユダヤ人が革命運動に参加するようになる
  • 革命運動を指導していたのはユダヤ人であった。
  • 1904年に日露戦争勃発
  • 日露戦争終結後、強いロシアを復活させる為のロシア政府が誕生(ストルイピン首相就任)
  • 1911年ユダヤ人の画策によりストルイピン首相が暗殺
  • ユダヤ人が更に革命への運動を強化

ポーランド分割によってロシアに入り込んだユダヤ人は約300万人と言われています。1914年当時のロシア帝国の人口が1億7千万弱ですから、日本の現在の人口1億2千万に対し70万人程度の在日朝鮮人と比べてみてもその比率はかなり高いことが分かります。そのユダヤ人ですが19世紀終わりごろから革命運動に参加するようになります。この時革命運動を指導していた政党に社会民主党や社会革命党などがありましたが、その政党のリーダーや活動家は全てがユダヤ人だったのです。ロシアに入り込んだユダヤ人はかつてロシア人がハザール王国を崩壊させたことを覚えています。ユダヤ人の中には常にロシアに対する復讐があり革命を起こして国家を転覆させる狙いがあったのです。つまりロシア帝国の崩壊はユダヤ人にとって最も重要な課題であったということです。

そうしたユダヤ人の狙いの中で起こったのが日露戦争でした。ロシア国家内に於いてユダヤ人たちはロシア政府の敗北というスローガンを打ち立て、当時ロシアの敗北を望む日本やアメリカから革命資金を導入していました。日本からの資金は明石元次郎による資金であったと思いますが、額で言えばそれほどでもなかったため、主にアメリカからの資本が投入されました。この時ロシア国内のユダヤ人にアメリカから資金を送ったのがアシュケナジーユダヤ人のヤコブ・シフと言われています。ただ実際に日本が日露戦争の戦費を整えるために日銀副総裁であった高橋是清は世界を駆け巡り日本の公債の買い手を探していましたが、その日本に救いの手をさしのべたのもこのヤコブ・シフでした。当時の額で2億ドル(現在の価格で1兆円)と言われる額の支援をしたと言われます。ユダヤ人のネットワークと財力は恐ろしいものがありますが、そこにしたたかな計算によって国を破滅に追い込む策謀はユダヤ人特有のものであることが分かります。日本に置き換えて考えてみるとこの時のロシア帝国の国内が異様な状況であったことが分かると思います。日露戦争当時、日本の国内で日本の敗北をスローガンに掲げて300万人の活動家が日本国家を転覆させようとしていたら・・・。考えただけでも身の毛がよだつ思いにかられると思います。話は少し脱線しますがこれと似たような状況が1933年のナチス政権樹立の時に起っています。ナチス政権樹立後の僅か数ヶ月後にドイツ国内のユダヤ人社会はナチス政権に対して宣戦布告をしているのです。この時のナチス政権はドイツ国民の信任を得て成立しています。民主的に選挙を行って成立した政権に対し、自分の国でもないのにその政権に対し国内で宣戦布告をするのですからとんでもない存在であると言えるでしょう。

このようにして日露戦争と同時にロシア国内のユダヤ人によって第一次ロシア革命の嵐がロシア全土に襲いました。結果ロシア帝国は日本に敗れ、白人国家が有色人種に敗北すると言う汚名まで着せられてしまいました。しかしロシア人もこのままでは国家が維持できないという危機感を持ったのでしょうか。ロシア人のためのロシア人による強いロシアを作ろうと言うスローガンを掲げて強力な首相が誕生します。1906年ロシア政府はストルイピンを首相とする新政府を樹立します。ストルイピンは第一次ロシア革命の教訓から強固な反ユダヤ政策を採り革命運動を次々と鎮圧して行きます。この時の鎮圧で、後に第二次ロシア革命の首謀者となるレーニンジュネーブに亡命しています。ストルイピンは革命運動を鎮圧する傍ら、ロシアの資本主義経済を強固にするための経済政策にも力を入れて行きます。この当時のロシアの経済成長率は11〜15%でロシア国内の人々の生活水準も非常に高くなっていました。

ところがです。残念なことに1911年9月、ストルイピン首相は劇場でオペラを観賞中に暗殺されてしまいます。犯人は反体制派であり社会革命党の党員で政府の警察のエージェントでもあったボグロフという、これまたユダヤ人であった。ストルイピンが亡くなったことによって強いロシアの改革も終わってしまいます。ストルイピンの暗殺が成功したユダヤ人は次の革命の準備に入っていったのです。


7、第一次世界大戦の混乱期に乗じたロシア革命

ロシア人のためのロシア人による強いロシアを作ると言う真っ当なスローガンを掲げた強いリーダーの出現はロシアにとっては救世主的な存在であった。しかしそのストルイピン首相が暗殺されるとロシア内にいるロシア人とユダヤ人の立場は逆転して行きます。ロシアの経済力も生活水準も向上していた時期だけにロシア人のショックは大きなものだった。一方で革命運動を鎮圧されていたユダヤ人は、この機に乗じて次の革命への準備へと入って行きます。第一次ロシア革命日露戦争の混乱期に起こしているユダヤ人は次の革命の時期が到来した時、直ぐに行動を起こせるように周到な準備をしていたのです。そしてその時は意外にも早くやって来ます。1914年第一次世界大戦が勃発します。ロシアはドイツとの戦争真っ只中。これを利用しない手はありませんでした。1917年トロツキーをリーダーとした70人のユダヤ人グループがニューヨークからロシアに入ります。このトロツキーを支援していたのが第一次ロシア革命を支援していたヤコブ・シフです。そしてドイツ方面からもレーニンを中心としたグループがロシア内に流入。このグループもまたほとんどがユダヤ人だった。この時のロシア革命を10月革命と呼びますが、10月革命はアメリカとドイツの資本を利用したユダヤ人による革命だったのです。


8、ロシア革命とはユダヤ人によるロシア帝国の徹底的な破壊だった

  • ロシア皇帝と家族を全て暗殺
  • ロシアの伝統・習慣・歴史を徹底的に破壊
  • ロシアの貴族の皆殺しを目論む
  • ロシアの農業システムをすべて破壊

レーニンを首謀とした10月革命は労働者の待遇改善を掲げてロシア全土に社会主義の風潮を蔓延させて行きました。こうした国内の風潮を革命気質に変えて行ったことが最終的に革命を成功させることになったのです。1911年にストライピン首相が暗殺されてから1917年のロシア革命勃発まで、ロシア国内にいたユダヤ人たちは次の革命に備えてこうした準備をして来たのです。ロシアの全人口の1億7千万人対し、ほんの一握りのユダヤ人の革命が成功してしまった背景にはこのようなユダヤ人の策謀が隠されていたのです。

ロシア革命を成功させたユダヤ人たちはロシア人を完全に支配下におこうとします。まず国を支配するためにはその国のトップを引きずり降ろさなくてはなりません。日本で言えば天皇、ロシアで言えば皇帝がそのトップになります。ユダヤ人たちは当時の皇帝であったニコライ2世を家族もろとも全員暗殺しました。この時の処刑場とされたある家の地下室は、戦後も存在していたが、エリツィン大統領の時に取り壊されています。このエリツィン大統領の周りにいる補佐官は80%がユダヤ人でエリツィン大統領の妻はユダヤ人でした。ニコライ2世の処刑を終えるとユダヤ人たちはロシアの伝統・習慣・歴史を次々と抹殺して行きます。その中心となったのがロシア正教の教会でした。ロシア正教はロシア人にとって最も神聖な宗教であって少なくとも1000年の歴史があります。ユダヤ人はロシア人に精神的な影響を与え続けて来たロシア正教会の90%を破壊したのです。またアルメニア教会の寺院なども徹底的に破壊されたのに対し、シナゴーグユダヤ教会)だけは無傷だったのです。この事からもユダヤ人の革命であったことが分かります。

さらにユダヤ人たちは徹底的な弾圧をして行きます。ロシアの頭脳とも言うべき貴族を殺そうと目論んでいました。しかしながらこの時の貴族のほとんどが国外に亡命していて約300万人の貴族がアメリカやヨーロッパに脱出していました。このことは後のロシアに大きな損失を与えることになります。ロシアが戦前戦後も大国としての地位を確立しながらも新しい技術や学術の発見に乏しいのも、この時の貴族を中心とした多くの学者が国外に流出してしまったことが影響します。現にアメリカのこれまでの新しい技術の発見の中の20%がロシア人だと言われています。またロシアを支えてきた農業にもユダヤ人たちは徹底的な破壊を試みます。ロシアは個人が農地を持つ地主制が敷かれていました。広大な国土を持つロシアにとってそれぞれの地域でそれぞれに見合った農業のやり方を構築するには必要な制度であったのです。ところが革命を推し進めるには今の農業システムを破壊しなくてはならないとして、集団農場や国営農場に切り替えていった結果、ロシアの農業システムが全て破壊されてしまったのです。

ロシア革命によってロシアの伝統・習慣・歴史はすべて破壊しつくされました。日本で言えば皇室を抹殺され日本の神社仏閣は全て破壊され、農地も取り上げられ優秀な技術を持った技術者や研究者が一斉に国外に流出してしまう。そのようなことが100年前のロシアで起こったのです。これ全てユダヤ人がやったことです。もし仮に日本でこのようなことが起った場合、日本人として耐えられるでしょうか?また当時の日本はこのような状況をどれだけ情報として入れていたのでしょうか?支那事変当時北進論vs南進論があり、南進論に進んでしまった日本を見れば、如何にこの時のロシアの情勢を見誤り生かし切れていなかったかが分かります。
また、このロシア革命を遂行する運動体には2つの流れがありました。1つは共産主義である。実はドイツやアメリカから流入した共産主義者や革命家たちはユダヤ教を信奉しません。これは8世紀にユダヤ教に改宗した時、同じハザール人同士で内戦になったことがありますが、ハザール人=アシュケナジーユダヤ人は決してユダヤ教で一枚岩になっている訳ではありません。こうしたユダヤ教を信奉しない革命家たちが共産主義社会主義を利用してロシア国内で革命工作を行っていました。もう1つがシオニズムである。シオニズムとはユダヤ教徒が自分達の宗教本部があるエルサレム(シオン)を中心としてユダヤ教徒が世界を支配しなければならないとする思想である。このような人達をシオニスト呼びます。この2つの流れに沿ってロシア革命が起きたのです。ロシア帝国を革命によって転覆させると言う1点で彼らは繋がります。ロシア革命ユダヤ人たちはこの2つの流れでロシアを支配していました。ところがこの2つのグループで主導権争いが始まります。1920〜1930年代にアメリカやドイツからやって来た共産主義ユダヤ人とロシアに居た150万人のユダヤ教徒の間で激しい闘争が起きます。8世紀のハザール王国の内乱の再来と言うわけです。この闘争の結果、レーニントロツキーたちと共に来たユダヤ人はこの戦いでほとんど消えてしまいました。これは第二次世界大戦が始まる前にはユダヤ人同士の争いには決着がついていたのです。


9、共産主義を上手く利用し続けたユダヤ

1920年代から30年代にロシア国内のユダヤ人同士で激しい主導権争いが繰り広げられたが、8世紀の内乱同様シオニストが主導権を執りはじめます。これは日露戦争ロシア革命当時に革命家に支援したヤコブ・シフなどと比べれば共産主義者たちの資金力など到底及ばなかったのです。実はアメリカの有力な資産家などはほとんどがユダヤ人であった。あの満州鉄道を日米の共同経営にしようとした鉄道王ハリマンもユダヤ人であった。この頃のアメリカ国内にも支配層にまわるユダヤ人がいたのです。シオニストと呼ばれるユダヤ人たちが何を考えていたのか。それはソ連アメリカの2大ユダヤ国家を形成し、この2国で世界を制しようと考えていたのです。そうした中で当時世界中に蔓延していた社会主義の風潮を利用する上で共産主義の利用はシオニストユダヤ人にとっては好都合だったのです。彼らは表向きの国家形成などどうでもよい。裏で絶対的な権力で支配出来れば良かったのです。このような流れの中で1922年ヨシフ・スターリンソ連共産党の書記長に任命されます。スターリンは革命家かシオニストかで言えば完全に共産主義者の革命家であった。そのスターリンを表向きの支配者としたのです。その証拠は彼の右腕と言われたラーザリ・カガノビッチがスターリンの側近に付き、スターリンはこのカガノビッチの政策を遂行していたに過ぎなかった。このカガノビッチはハザール王国の王直系の子孫である。カガノビッチの祖父の時代はカガンと名乗っていた。カガンとはハザール人たちの間ではユダヤ教の指導者または皇帝を意味する言葉で、ハザール王国も当時ハザール・カガン国と名乗っていた。カガノビッチの元の性がカガンであると言うことはハザール王国皇帝の直系の子孫であると言うことです。ロシア革命後ロシアの皇帝暗殺やロシア文化の徹底的な破壊はこのようなハザール人の怨念の証と言えるだろう。

第二次世界大戦前に世界の共産主義者がスパイ工作に準じたのは裏にシオニストと呼ばれるユダヤ人が暗躍していたことは否めない。ユダヤ人にとって共産主義であろうと民主主義であろうと自分達が世界を支配できる形であればそれは是なのである。第二次世界大戦後半ではドイツ・ソ連の激しい攻防が繰り広げられた。スターリングラードの攻防では最終的にナチス・ドイツ軍を降伏に追い込み勝利へと導く事になった。これが切っ掛けで戦争が終結する頃にはドイツに勝利したロシア人の中で急速に民族意識が強まり始めた。これに危機感を感じたユダヤ人たちは1948年ロシア人に対し攻撃を加えた。優秀なロシア人の政治家や知識階級を裁判にかけて殺していったのである。この指揮を執っていたのがカガノビッチでスターリンもそれに同調した。

しかしこの頃からスターリンユダヤ人のやり方に反発するようになった。ユダヤ人の横暴は凄惨を極めた。特に1948年ユダヤ人の医者たちがロシア人の新生児をしかも男児を毒殺していった事件が起こり、その被害者数はかなりの数に上った。ある意味でユダヤ人の民族浄化政策と言ったところだ。これにスターリンは激しく反発しこの事件に関わった医者を逮捕し収容所に送りその半数を殺害したのである。さらにスターリンは反ユダヤ政策とも言うべく大きな政策を持っていた。それは大都会に住むユダヤ人を田舎の自治州に全て強制移住させようとしたのである。これは奇しくもドイツでヒトラーが行ったプランと同様であった。しかしそれが実行される前にスターリンは暗殺されてしまった。スターリンは表向き病死となっているが、実際はカガノビッチの従弟にあたるベリヤに暗殺されたと元ソ連の外交官イワノフが語っている。ベリヤは国家保安省のユダヤ人ハーフであるが、スターリン亡き後カガノビッチの右腕となった男である。

1953年にスターリンが暗殺されて実質ソ連の実権を握ったのはカガノビッチだった。右腕となったベリヤと共に大国ソ連を牛耳ったのである。これでユダヤ人社会は裏で支配が完了しているアメリカと共にソ連をも完全に支配下に置いた。これで2大大国をハザール人=アシュケナジーユダヤ人が支配する事に成功したのである。ユダヤ人社会はこれで完全に世界を掌握したと言っても過言ではなかった。反共産主義の砦であったドイツと日本を潰し、残るは大した強国は無かったのである。このような状況で世界はユダヤ人社会に対抗するすべは皆無だった。ところが奇跡的な出来事がソ連で起こった。ドイツとのスターリングラードで勝利した時の将軍であるジューコフ元帥が演習中に突如クーデターを起こしベリヤとカガノビッチを逮捕してしまうのである。これによってカガノビッチは失脚。スターリンが暗殺されて130日で新政権を樹立。ゴルバチョフが書記長の座に就くのである。

1953年から1985年までの間、ソ連にはユダヤ人による政権はなく国家内国家も作ることは無かった。この時期はロシア史上でも最も安定した時代であったと言える。それはユダヤ人が関わっていない時期だからでもある。しかし1991年再びユダヤ人たちが立ち上がってクーデターを起こすがこれは失敗に終わる。だがこのクーデター後の結果を見れば再び権力座にユダヤ人が就いたことが分かる。クーデター失敗後エリツィングループが政権に就いたがこの時の政府高官のほとんどがユダヤ人だったのである。


10、ロシア史はそのほとんどがロシアvsユダヤの民族闘争だった

終わりに、ロシア史を振り返ってみてそれはほとんどがロシア人とユダヤ人の民族闘争であったことが分かる。世界初の社会主義国家・共産主義国家のイメージが付きまとうが、それは表向きの歴史に過ぎない。ロシアに入り込んだユダヤ人によって国内を混乱に陥らせ、社会主義共産主義を使ってシオニズムを達成しようとしたに過ぎないのです。このロシアで起きた民族闘争が世界に悪影響を与えて来たことは否定できません。ユダヤ人とは何か?ユダヤ問題とは何か?これまでの検証で何か少しでもヒントになれば幸いです。


ヒトラーユダヤ政策については後日書きます。