反日売国マスコミ中日新聞社説・虐殺がなかったと言う研究者はほとんどいない・だったらその研究者を出してみろ!河村市長は撤回・謝罪をする必要なし!・売国マスコミ・政治家は徹底して日本から叩き出せ!・

河村市長発言 なぜ素直に撤回しない

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012022802000015.html

名古屋市長は「南京事件はなかった」との発言を撤回せず、訪問団にも非礼ではなかったとの考えを、きのう述べた。率直な議論で「ノドのトゲを抜こう」と主張するが、その土台は一体あるのか。

河村たかし市長は会見で「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言が「南京大虐殺はなかったという持論を展開」と報道され、「南京では何もなかった」と誤解されたと釈明した。

市長は「象徴的に三十万人とされるような組織的大虐殺はなかったとの趣旨」と説明。「友好団に面と向かって三十万人の大虐殺と申し上げるのは言葉がいかにも残虐なので、あえていわゆる南京事件と申し上げた」と釈明した。

当初の発言は、市長が南京大虐殺はなかったと公にしたと受け止められる言葉である。報道により南京市民の誤解を招いたというのは、とんでもない責任転嫁だ。

南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない。日中歴史共同研究の日本側論文も「集団的、個別的な虐殺事件が発生し」と明記する。市長自身「非戦闘員の殺害はあっただろう」と認めており、日中で隔たりがある被害者数を問題にする意図であったのなら、そう明言すべきであった。

市長は共同研究を「学者の個人的見解」と批判するが、国や政治レベルで埋まらぬ歴史認識の溝を、少しでも客観的に埋めようとの知恵であった。中国主張の「三十万人」を市長が真っ向から否定しては、南京市側は率直な議論のテーブルにはつけぬだろう。

敏感な問題でも、政治家が主義主張を掲げるのは結構だ。だが、首長は政治家であるとともに自治体のリーダーでもある。歴史的な米中、日中国交正常化の扉を開いたピンポン外交の舞台である名古屋のトップの公式発言としては不適切だった。日中四十周年の記念すべき年に、友好都市が公の交流を停止し、記念行事や経済活動にも影を落とす。苦しい釈明ではなく、素直に撤回できないものか。

昨年春、南京市の公園で日中の百人以上が友好の桜を植えた。南京出身で十五年以上も名古屋に住む韓金龍さんが中心となり、過去五年で千本余を植えた。韓さんは「手を携えて桜を守り、友情の証しにしたい」と話した。

「公の交流停止」と言う南京市のシグナルを、敏感に受け止めてほしい。民の交流の根は深く、広い。民の交流を支えてこその市長であろう。


本日の中日新聞の社説は、とても日本の新聞とは思えない持論を展開した。

まず、河村たかし名古屋市長の発言云々より、お前たちの歴史認識がデタラメだ!
デタラメな知識しか持たないくせに、エラそうな事言うんじゃない!

なぜ日本軍が盧溝橋事件以降、支那事変を戦い抜かなければならなかったのか、それは昨日のブログ記事にさわりを載せたので見て頂きたい。
http://d.hatena.ne.jp/kamikaze715/20120227/1330343741

それでは中日新聞にツッコミを入れてみよう。

>南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない。日中歴史共同研究の日本側論文も「集団的、個別的な虐殺事件が発生し」と明記する。市長自身「非戦闘員の殺害はあっただろう」と認めており、日中で隔たりがある被害者数を問題にする意図であったのなら、そう明言すべきであった。

ハァ?

南京で虐殺がなかったと言う研究者は山ほどいる。
しかも南京大虐殺記念館に掲載してある写真を見事に証拠を示し偽写真である事を暴いている。
また、日本軍兵士の陣中日記や、南京攻略の際の日本軍の配慮に国際委員会からの謝意も示した公文書もある。
そして支那が主張した虐殺を、翌年の1月26日から始まった国連会議で明確にイギリス・フランスに否定されている。
だったら翌年に南京の人口が南京戦当時よりも増えていたことを説明してみろ!

日中歴史共同研究?

アホらしい、反日左翼のレッテルを張られた歴史研究家が支那の都合聞きになっただけの話だ。
だったらその歴史研究者の氏名を公表し、証拠を出させてみろ!


>市長は共同研究を「学者の個人的見解」と批判するが、国や政治レベルで埋まらぬ歴史認識の溝を、少しでも客観的に埋めようとの知恵であった。中国主張の「三十万人」を市長が真っ向から否定しては、南京市側は率直な議論のテーブルにはつけぬだろう。

客観的に溝を埋める必要はない。
歴史の真実はひとつしかない。
その真実を証明し主張するのが正しい姿勢だ。
仮にその真実が日本軍の蛮行であったのなら認めるしかない。
しかしそうでないとなれば、それは当然受け止めるわけにはいかないし認められない。
南京市側が議論のテーブルに付かないのは、嘘八百が白日の下にさらされるからだ。←もうさらされてるが・・・。


さて、この河村市長の発言に対し、ネットではかなり河村市長を擁護するコメントが溢れている。
しかしそれを政治家やマスコミに目を移すと、その様相はガラリと逆転する。

この逆転現象は予想できる事なのだが、これはそのまま日本の危機を表す他ならない。
今の日本は、政治やマスコミがほとんど支那や朝鮮に牛耳られていて、日本の国益に沿った発言や所作は出てこない。
それだけ日本は支那・朝鮮に浸食されているのだ。

日本人は特に相手の言う事をある程度受け入れれば、問題を起こさず穏便に事が済み友好を得られると考えてしまう。
しかし百歩譲ってもそれは相手も同じような感性を持っていればの話だ。
恫喝をして来るような相手は、一歩下がれば一歩も二歩も踏み込んでくる。
そして次の機会にはその下がった時点が基準となる。

大東亜戦争支那事変などは、我々先人が祖国防衛・アジア解放の為に戦った聖戦だ。
そうした先人の想いと命を賭けて守って下さった事に対して、先人を貶めるような事実と違った歴史観を、日本人であるならば語るべきではない。

これからの政治家は歴史観がしっかりとした人にしかなって欲しくない。
いやそうでなければ靖国に眠る英霊の御霊に何と顔向け出来ましょうか・・・。

河村市長を全力で支持いたします!