朝鮮戦争が教えた日本の防衛戦争の真実・GHQ総司令官マッカーサーは日本が戦争せざるを得なかった事に気付いた・米軍は朝鮮戦争で日本と同じ道を辿ったのだ。

朝鮮戦争で初めて日本の立場を理解したマッカーサー



▲日本が戦争に突入したのは自衛の為だったと発言したマッカーサー


大東亜戦争終結すると、日本の地にマッカーサー率いる連合軍総司令部すなわちGHQがやって来ます。
GHQは日本で厳しい言論統制を行い、新聞や書物と言ったものに検閲を掛け、自分たちに都合の悪いものは全て除外された。
また戦争協力者を公職から追放し、20万人以上もの職を奪ったのです。
その代わりに戦前より日本にくすぶっていた社会主義思想に拍車を掛けて、元よりあった日本の保守的な者達の口を次々と塞いで来たのだ。
それが今日まで反日左翼がありとあらゆる所に巣食う土台を作ってしまったのだ。

しかしある時このGHQの政策が全く間違った政策であった事に、総司令官のマッカーサーが気付く事になる。
そう朝鮮戦争だ。
大東亜戦争後、日本が統治していた朝鮮は北がソ連、南をアメリカが統治する事で落ち着いていた。
元々大東亜戦争末期では、既に米ソの対立構造が強く打ち出されていた為、朝鮮を分断する形でお互いが統治していたのだ。

朝鮮戦争北朝鮮が突如として南朝鮮に攻め込んだと思われているが、実際はその攻め込まれる理由をアメリカが作ってしまったものだ。
1950年1月12日、米国アチソン国務長官は講演で次のように述べている。
アメリカの西太平洋に於ける防衛線は、アリューシャン列島から日本列島、沖縄に至る線である。』
この言葉をそのまま受け取れば、ソ連からしたらアメリカは韓国を防衛圏内に入れていないと受け取れてしまう。
まさしくそう受け取ったソ連スターリン北朝鮮金日成を使って南進の指示を出したと言うのが本当のところだ。

これに慌てたのはまさしくアメリカで、韓国を共産勢力の支配下に置かれれば日本が危うくなることに気付いたのである。
まさに日本がロシアの南下を恐れ、併合までして朝鮮に力を入れた事と同じ道をアメリカが辿ったのだ。
この時になって初めて明治以降の日本が如何に共産勢力の南下を恐れ、日本の自衛の為に戦って来たのかをマッカーサーは痛感する事になる。

朝鮮戦争では勢いに乗じた北朝鮮に、アメリカの支援を受けた韓国が釜山まで追い込まれるが、そこから仁川上陸作戦を敢行してソウルを奪還し鴨緑江朝鮮半島の付け根付近)まで盛り返し朝鮮戦争終結するかに思われた。
しかし朝鮮戦争はこれで終わりではなかったのだ。
ソ連の支援を受けた北朝鮮軍は依然として旧満州に勢力を保ち、支那内陸やソ連からいくらでも支援・補給が出来る体制を整えていたのだ。
ここでもマッカーサーは日本がなぜ満州を発展させる必要があったのかを思い知る事になる。
朝鮮戦争が始まって、共産勢力に対抗して行く事で全く日本と同じ道を辿ったからだ。

マッカーサーは『かつての満州空爆し、敵を完全に殲滅しなければ、また東シナ海の港湾を封鎖せねばならない。』とトルーマン大統領に進言したが、トルーマン大統領はソ連との原爆戦争に発展する事を恐れてマッカーサーの意見を却下し解任してしまう。
仁川上陸作戦を敢行したマッカーサーがいなくなった米軍は共産勢力の反撃を受ける事になり、結局は元の38度線に戻り現在に至ります。

特筆すべきは朝鮮戦争で辿った米軍の道のりは、明治以降の日本による朝鮮・満州統治と同じだったと言う事です。
共産勢力の拡大・侵攻を恐れれば、自国を守るために敵であったアメリカでさえ同じ道を辿るのです。
いかに日本の行った戦争が自衛の戦争であったと言う事が分かると言うものです。

それともう一つ、日本に原爆を落としたトルーマン大統領がソ連との原爆戦争になる事を恐れて空爆すらも却下しています。
つまり日本には原爆が無かったから、いや無いと確信していたからこそ日本に原爆を落とすことが出来たのです。
もし持っていたら原爆投下は無かったと言える。
今で言えば核兵器を持つ者持たざる者の差はそれだけ大きいと言う事であり、周辺国が保持している以上、バランスを保つ意味でも日本は核武装しなくてはならないと言う事です。
この時の歴史がそう証明しています。


最後にマッカーサーは次のように証言しています。

『日本は八千万に近い膨大な人口を抱え、それが4つの島の中にひしめいているのだということを理解して頂かなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。
潜在的に日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいずれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時より生産している時方がより幸福なのだと言う事、つまり労働の尊厳と呼んでも良いようなものを発見していたのです。
これほど巨大な労働能力を持っていると言う事は、彼らには何か働くための材料が必要だと言う事を意味します。
彼らは工場を建設し労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得る事が出来ませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もしこれらの原料を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろう事を彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んで行った動機は大部分が安全保障の必要に迫られての事だったのです。』


そしてこれほど重要な事を、報じた日本のマスメディアは、当時もそして現在も存在しないのは、極めて日本の為にならない勢力がこの国を支配していると言う事です。
我々日本人は真実の歴史を知って立ち上がらなくてはならないのです。