世紀の義戦・日清戦争・朝鮮独立を支援した日本と朝鮮は大清国の属国とした清・欧米列強のアジア進出に危機感を持った日本は、朝鮮独立を真に願った。


日清戦争平壌での戦い

さて今日は日清戦争についてお話をしてみようと思う。
日清戦争は、その後の日本が支那大陸に関与して行く、いわば切っ掛けとなった戦争であると言っても過言ではない。
日本がなぜ清と戦争をやらなければならなかったのか・・・。
そこには非常に複雑な時代背景があった。
欧米列強のアジア進出や、その為に朝鮮の独立や近代化を願った日本が初めて外国と戦争をしたのが日清戦争である。

まず日清戦争に至るまでにはいくつかの過程がある。

この頃の朝鮮は清の属国であったが、欧米列強のアジア進出、特にロシアの南下政策に於いて風前の灯であったと言っても過言ではない。
朝鮮の国内事情と言えば、およそ国家と言えるレベルではなく、王朝のみが贅沢をし、庶民には家畜同然の生活を強いていた。
そして宗主国である清も欧米の植民地政策によって国境を接するようになり、もともと漢民族の国ではない清(満州民族が支配)は国家としての形成は脆弱なものであった。
当然、植民地を拡大したい欧米にとっては支那大陸進出を視野に入れる事になる。

日本はその事に危機感を持ち、まずはロシアの南下を食い止める為にも、朝鮮を近代化させ清から独立させなければならなかったのだ。
そしてそうした日本の動きに朝鮮内部からも独立・近代化の動きが出て来る。
今や超大国ロシアが南下し虎視眈々と自分達の国を狙っていると言うのに、李氏朝鮮は贅沢三昧をし国防の事などそっちのけなのだから当然と言える。

そうした動きがやがて朝鮮内部でクーデターが勃発する。
それが壬午政変・甲申政変である。
壬午政変では清国が軍事介入しこのクーデターを鎮圧するが、その際日本公使館に危害が及び、日本と繋がりがあった金玉均(キム オクキュン)が謝罪の為に日本を訪れている。
そこで日本の目覚ましく発展した街を目の当たりにした金玉均らは、朝鮮も一刻も早く近代化をしなければと決意をするのである。
そしてこの金玉均らを支援していたのが福沢諭吉であった。


朝鮮開化派の金玉均


朝鮮開化派を支援した福沢諭吉

言わば共通の脅威に対し、利害が一致した朝鮮開化派と日本が接近する事は自然な事であり、戦後言われる朝鮮侵略などと言う事ではなかった。
朝鮮の独立近代化に日本が支援したのである。

そして1884年ベトナムの領有を巡って清仏戦争で清が敗退した事で、金玉均は反閔妃派である高宗の支援を受けてクーデターを起こし新政権を樹立します。
これが甲申政変です。
ところが清仏戦争で敗れた清は、清の威信をかけて袁世凱が1300の軍隊で朝鮮平定に乗り出します。
そして支援者であった高宗があっさり金玉均らを裏切り、清国の軍事加入に許可を出してしまい、結局新政権は3日で倒閣します。

何と言うか李氏朝鮮閔妃にしろこの高宗にしろ、国家を守る意思と言うか覚悟と言うものが全くない。
これが永年続いた属国根性で、庶民には強気でも外国の強い勢力には国家など関係なく尻尾を振る。
そして自分の為には平気で裏切るなど、今の韓国そのものの姿でもある。
要は今も昔も朝鮮と言う国は全く変わっていないと言う事です。

話を戻して、壬午政変と甲申政変と二度までも内政干渉をされた清に対し、日本では朝鮮の独立を本気で願うのなら清とはいずれ戦わなければならないと言う気運が生まれてきます。
そして朝鮮内部では李朝打倒・外国排斥を掲げた新興宗教東学党が各地で反乱を起こします。
これに清が三度鎮圧に向かい出兵した事で、日本もいよいよ朝鮮独立に向け清と雌雄を決する事を宣言します。

この日清戦争は日本国内の反戦派でさえやむなしと判断したほど、致し方なかった戦争でした。
それは清が清仏戦争に敗れ、欧米列強がいよいよ支那大陸を目指すのは火を見るより明らかだった。
そして北からはロシアが南下政策で虎視眈々と朝鮮を狙っていた。
日本の国益そして国防を考えれば、ここで何としても清を倒して、朝鮮を強い近代国家にして協力して欧米列強に立ち向かうしかなかったのです。

そして日本は朝鮮に対してあくまでも独立の支援をする事が目的だった。
それは日本・清の両国の宣戦布告を見れば、その違いが分かります。

日本:『朝鮮は我が国を誘って列国に加わらせた独立の一国であるのに、清国は常に朝鮮を自分の属国として内政に干渉している。』

清国:『朝鮮は我が大清国の藩属たること200年、毎年朝貢している国である。』

要は植民地であると言っている清に対し、日本は独立国であると言っているである。
つまり日本は朝鮮を独立国であると認めているのです。
これのどこが侵略なのか、反日左翼の皆さんのデタラメ、そして韓国が捏造の歴史をばら撒いているのが良くわかります。

日清戦争は日本の圧勝に終わります。
陸・海軍の近代化した装備と、日本独自のアイデアで換装した日本軍は清を圧倒しました。
これにより支那にも日本の権益が生まれ、日本の軍隊が初めて支那に駐屯するのです。
ですから日本は支那に対しても侵略したのではなく正当な権益の下、軍隊を駐屯させたのです。
そしてやはり日本はこの支那で規律正しい統治を行い、支那住民に対し好印象を与えています。
これが後の義和団の乱の時に、支那住民が日本軍によく協力をする事にもなるのです。

日清戦争は欧米列強の影響が次第に強まり、その影響に脅威を感じていた日本と朝鮮の利害が一致し、清からの独立を目指して始まった戦争で、いわば義戦であったと言う事です。
本来ならば清・朝鮮・日本が揃って近代化を果たし、欧米列強に協力して対抗すべきであった。
しかしそれに至るにはあまりにも清・朝鮮に大局を見極める見地が無かったのです。